@colette yoshikisugimoto

「日々のこと」と「coletteのこと」

成人式

さてさて、昨日は成人式でしたね。

 自分の時は仕事で成人式には出れず、全くそれらしい思い出はありません(笑

 

さて、それはいいとして、とても深く考えさせられたので記事にしようと思いました。

※今回は写真は載せません。

※言葉の表現に不適切な点がありましたら申し訳ありません。

 

ということで、昨日はある養護学校の成人式にお邪魔してきました。

 

毎年、こちらの学校でお手伝いをさせて頂いているのですが、僕は今回2年ぶりにお伺いしてきました。

 

少子化の影響なのか、年々人数が減っているとのこと。

朝から準備をお手伝いして、新成人を待ちます。

もちろん養護学校なので、新成人の方は学校の卒業生の方達ばかりです。

 

続々くる新成人には、見るからに障がいを持つ方もいれば、「ふつう」の方達もいらっしゃいました。

 

ん?・・・

 

と何か自分の中でひっかかりがありながらも、式の準備は着々と進んでいきます。

 

式に参加している方達は、車椅子でしか生活が出来ないような障がいを持つ方だったり、元気なんだけれども、急に席を立ったり、落ち着きがなかったり、騒ぎ始めたり、様々ですが、それを保護者の方々や、先生達、当時赴任されていた先生達に見守られながら式は進んでいきます。

 

「ふつう」の家庭よりも沢山苦労がある中、それをお互いが支えあっている。そんなことを感じてました。

 

式が始まる前に、「障がいの中にも幅がある」ことをある方から教えて頂きました。

 

たしかに、車椅子でしか参加できない方もいらっしゃれば、障がいあるのかな?とそれくらいなにも変わらない方もいらっしゃいました。

障がいにはそれだけ幅がある、「グレーゾーン」があるのだということをなんとなくだったものが明確に意識することが出来ました。

 

「ふつう」「グレーゾーン」自分の中で、この2つのワードがひっかかってしまって、帰ってから調べちゃいますよね。

 

「グレーゾーン」・・って・・発達障がい?・・・個性?・・

 

落ち着きがない、先生の話を聞いていられない、話がうまくかみあわない、一人遊びが多く団体行動が苦手、片づけられない、などなど色々書いてましたけども、、

自分らが小さい時はそんな言葉や障がいという認識なんかなかったです。っていうか、普通にいたよね。みたいな感覚。

 

ですが今はそんな行動をとっている子を「ちょっと気になる子供」として特別視しすぎている環境があるような気がします。

 

「文部省の実施した調査では、知的な発達に遅れはないものの、学習面か行動面で

何らかの困難を持つ児童や生徒は、調査対象全体の6.5%いること。

これは40人学級では、1クラスあたり、2~3人の割合になります。

これは医師の診断ではなく、教員の主観に基づく調査です。」

 

え?・・結構な割合じゃね?・・

 

が率直な感想。

で、調査が医師の診断ではなく、教員の主観という、、

あきらかにそれを特別視してるのが周りの環境。

 

自分にも子供がいるので、身近なことすぎて考えてしまったんです。

 

実際に先生に自分の子供の話を聞くときに思うのが、客観的に物事を見ていて、出来ることなら関与したくない風な言い回しをする先生がやっぱりいるんですよね。

家庭環境のせいにされたり、親と接する時間のことしか言わなかったり、、

現場では、感覚的に特別視して除外している、もしくは放置している、関与しない等の状況が生まれてるんではないのかと感じました。

 

こういった現状がある以上、「ふつう」に健康的に過ごしていても、「特別視」されてしまった場合、除外されてしまう。

逆に「特別視」されないまま、普段通り生活をしてしまって、除外されないまま成人を迎えてしまったりすると、社会に出てからそれがあらわれてしまうんではないか。

「グレーゾーン」だからこその問題があるような気がします。

 

では対応を・・と考えたのですが、「対応」と言ってる時点でなんか違う気がするんですよね。「特別視」してしまってることに気づきました。

 

「ふつう」っていう概念は曖昧なもので、実際は「グレーゾーン」として捉えているものを除外するためのものさしにしているのではなかろうかと思いました。

 

自分も子供の成長を見ていく中で、いままで自分が育ってきた環境と、今現在子供の育つ環境を重ねすぎていたと思います。

遊ぶ時間であったり、友達だったり、昔より閉鎖的な環境を作ってきた自分たちに原因があるのかなと感じました。

育てることをする中で、昔の自分と照らし合わせてしまって、それを押し付けてしまっている。

たしかに、押し付けてしまっている時は話を聞いてなかったり、目の前のことなのに覚えてないことが多々ありました。

逆になんでもない時に、えっ?これ覚えてたの?なんてことしょっちゅうありますよね。

周りから「特別視」されてしまったことで、自分が子供を「特別視」してしまった。

結果的にそれが子供をグレーにしていってしまっていることなんじゃないかなと。

 

成人式のあり方について世の中で議論されている中で、「グレー」とされてしまった新成人たちも自分の力で、自分の個性と向き合い、それぞれに思いがあることを感じました。

それが表面的には見えなくても、きっとこの式の中で、感じていることがあるんだろうなと。

それぞれがいろいろな思いを胸にこの日を迎えているのだと思います。

 

これから自分が子供に出来ることがあるとすれば、自分の子供が成人するまで、「ふつう」という概念をとっぱらって、沢山の経験をさせていくことで、どこに可能性ああるのかを見出して、お互いを認め合える認識が自然と出来上がる環境を作っていければと思います。

 

式が終わり、片づけをしているさなか、ある親御さんが、「来年はうちの子も式にでますので、よろしくお願いします」とお声がけ頂きました。

お互いにいろんな可能性を見つけ出せる一年にできるといいですね。

来年の成人式が楽しみです。

 

追記

文中、不適切な表現がありましたら申し訳ありません。

式の中で自分が感じたことをそのまま書きました。

とてもいい経験になりました。ありがとうございました。