3月11日。
やっぱり書こう。
3月11日は皆さんもご存じの通り東日本大震災が起こった日。
今でもあの時のことは忘れません。
地震が起こった後、すぐに友人に連絡をとりました。
携帯はつながらず、安否確認も全く出来ないまま2ヶ月が経ちました。
ようやく友人の職場に連絡がつき、友人のお母さんに連絡をとって頂けることになりましたが、その時「お母さん?、、なぜ?、、やっぱりか、、」と覚悟をしました。
そのあとすぐにお母さんから連絡があり、震災当日のことをお聞きしました。
友人の家族構成はおじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん、お姉ちゃん、友人の6人家族。
震災が起こった時、お父さんがすぐにおじいちゃんとおばあちゃんと友人を迎えに行き、4人で車で避難場所に向かっていたそうです。
お母さんとお姉ちゃんは先に高台にある避難所へ到着。
避難所から駐車場までの距離は100メートル位。
そこへ駐車場へついた4人が避難所までの道を走っているところに津波が押し寄せました・・。
あと50メートル・・。
4人はお母さんとお姉ちゃんの前で津波に飲み込まれました。
あまり遠くまで流されてはいなかったため、ご遺体はすぐに見つかったそうです。
4人とも損傷はほとんどなく、綺麗な状態で見つかったとお母さんからお聞きしました。
僕はなにも声をかけることが出来ないまま、お母さんとお姉ちゃんと連絡先を交換し、電話を切りました。
3月11日。
全ての人が決して忘れてはいけない日。
いつ何時自分たちが被害にあうかわからない。
残された人たちの思いを決して忘れず、、
震災が起こってしまった時に、少しでも被害にあう人を減らす努力をしたいと思います。
ひーちゃん。
あなたのこと忘れてないよ。
みんなで沢山遊んだね。
夜中までみんなで馬鹿やって、わいわい遊んで。
今はみんなそれぞれがいろんなとこに住んでるから、連絡とりあうことも少なくなってきたけど、相変わらず元気だと思います。
少なくとも僕は元気だよ。
今日も、これからも頑張るね。